アムウェイのタイトルホルダーってどんな人? 2
日本のネットワークビジネス企業のトップに君臨する「アムウェイ」、
そのタイトルホルダーの人となりについて
前回は、「ダブルクラウンアンバサダー DD」と
「ファウンダーズ・クラウン・アンバサダー DD」の方の情報をお伝えしました。
今回は、「クラウンアンバサダー DD」の方の情報をお伝えします。
クラウンアンバサダー DD
「クラウンアンバサダー DD」は、DD20系列という快挙を成し遂げた方々のタイトルです。
中島薫さんが歴史を塗り変えるまでは、このタイトルが最高のタイトルでした。
「クラウンアンバサダー DD」のタイトルホルダーで
有名な方は以下になります。
E・H・エリック氏&みどり氏
タレントの岡田真澄の実兄で、ハーフタレントの草分け的存在。
日本にアムウェイを伝えたと言われています。
1987年に、中島薫氏と共に「クラウンアンバサダー DD」を達成。
1929年8月1日生まれ 2000年8月17日にハワイにて死去。
元奥さんの伊藤みどりさんは、現在も活躍中。
有馬七重氏&誠典氏
中島薫氏に、アムウェイを伝えた伝説の人。
それは、有馬七重氏の中島薫氏への1本の電話から始まりました。
有馬七重氏の電話がなければ、今のアムウェイの規模は
ずいぶんと違ったものになっていたかも知れません。
2009年7月7日に、有馬七重氏の還暦祝いのパーティが盛大に行われました。
その2か月後の2009年09月10日に、ガンのため死去。
北紺守彦氏
1963年生まれ。
ヘアスタイリストを目指していた23歳の時にアムウェイビジネスと出会い、
1989年、「ダイヤモンド DD」達成。
ビジネスを始めて10年で、「クラウンアンバサダー DD」を達成。
17歳の頃に始めたサーフィンをこよなく愛する。
現在も年に数回、世界のリゾートへサーフィンと
バカンスの旅へ出かけている。
瀬戸龍介氏&イレーヌ氏
1946年7月24日、東京生まれ。
60年代に「ニュー・フロンティアーズ」を結成。
70年代、グループはアメリカ西海岸に渡り、伝説のバンド「EAST」と改名。
日本人として初めて米キャピトル・レコードと専属アーティスト契約を結び、
全世界同時にアルバム「EAST」を発表。
エルトン・ジョンのアルバムと並び、ビルボード10位の快挙を成し遂げる。
音楽業界の中で不自由に活動することにあき足らず、
アムウェイビジネスをスタート。
現在は夢であったレコーディング・スタジオを葉山に完成し、
新たなる出発点に立っている。
林立夫氏&厚子氏
1951年、東京生まれ。
1972年に、伝説のバンド「キャラメルママ(後のティン・パ ン・アレー)」に
drumsとして参加。
井上陽水の「氷の世界」、荒井由実の「ひこうき雲」、大瀧詠一の「NIAGARA MOON」
「A LONG VACATION」、細野晴臣の「HOSONO HOUSE」などの作品に携わる。
林立夫氏がアムウェイを始めたきっかけは、夫人の厚子氏の影響のようです。
厚子夫人はアムウェイのディストリビューターとして結婚前から活躍していました。
ビジネス集中のためか1980年代半ばに音楽活動を休止しましたが、
1996年の荒井由実コンサートを期に復活しました。
現在も日本を代表するドラマーの一人である。
ネットワークビジネスの成功者は、音楽関係者が多いように思います。
私の知人も、ネットワークビジネスをしている音楽関係者が何人もいます。
彼らの知名度や顔の広さが口コミビジネスに有利に働くのかもしれませんね。
また、流行り廃りのあるいわゆる「水もの」の業界ですので、
もう1本の収入の柱が必要なのかもしれません。
現に、知人の経営する会社を救ったのは、
とある口コミのネットワークビジネスだったとの事です。
知名度や顔の広さがなくても、ネットワークビジネスで成功できます。
一般人でも可能なその方法は、インターネットで集客すれば良いのです。
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