ニュースキンの成功者~金子勝美氏の華麗なる転身

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ニュースキンの成功者として有名な金子勝美氏。

元プロ野球選手ということも良く知られています。

金子勝美氏はどのような方なのでしょう。

大宮高校のエースから早稲田大学の首位打者へ

金子 勝美:1949年5月31日

1967年、大宮高校3年生の時にエースとして夏の甲子園に出場。

1回戦で報徳学園に9回サヨナラ負けを喫し、無念の敗退。

秋の埼玉国体では、決勝で大分商を降し優勝。

1967年ドラフト会議で東京オリオンズから8位指名を受けるも拒否。

早稲田大学に進学し、内野手に転向。

東京六大学リーグでは1年生の秋季リーグで優勝する。

3年生の春季リーグで首位打者を獲得。

リーグ通算75試合出場、275打数77安打、打率.280、3本塁打、32打点。

三塁手としてベストナイン1回。

中日ドラゴンズに入団

1971年に、中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。

強肩俊足の内野手として期待されたが、
故障もあり一軍に定着できず、1977年に引退した。

プロ5年間の通算成績は、
通算51試合出場、39打数6安打、打率.154、1本塁打、2打点。

プロ野球を引退後、
いくつかの会社を経たのち、
ニュースキンとの出会いがあったようです。

ニュースキンとの出会い

日本に上陸する前から、香港を拠点として
ニュースキンに登録し活動。

わずか1年で8000人のグループに成長させたそうです。

その後のご活躍は目を見張るものがあります。

20ミリオネアチームエリートの最高タイトルを獲得されました。

ミリオネアチームエリートの条件は、
累計取得コミッション100万ドル以上。

20ミリオネアチームエリートは、
その20倍の累計コミッション2000万ドル!

日本円にして約20億円の売上をたたき出している成功者です。

これまで育て上げた億万長者とその予備軍は50人以上
と言われています。

スポーツ選手などのアスリートは、
子供の頃から、一心不乱にスポーツに取り組み、
毎日血のにじむような努力を重ねています。

普通の子供でしたら、放課後は遊びたいし
ゲームもしたいですよね。
(金子勝美氏に時代には、ゲームはなかったですが)

その気持ちに打ち勝って努力を重ねてきた訳です。

そのようなスポーツ選手として培った努力・集中力・確乎心。

その精神力が実を結んだのかも知れません。

プロ野球選手でしたら、顔も広いでしょうから、
愛用者の獲得もしやすかったのかも知れません。

それでも、香港でそれだけ広めることが出来たのは、
金子勝美氏の実力と努力が並はずれていたからに他なりません。

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